AIの嘘をどこまで許容する?情シスが知るべきRAGハルシネーション抑止策
もっともらしい文脈で、まったくの嘘をつく。このAI特有の挙動は、クリエイティブな用途では「創造性」として重宝されますが、正確性が命である企業のナレッジ検索や業務支援においては、看過できないリスクとなります。社内システム管理を担う情シス部門や、全社改革を背負うDX担当者にとって、この「AIの嘘」をいかに制御し、実運用に耐えうるレベルまで落とし込むかは喫緊の課題です。
本記事では、社内データを活用する「RAG(Retrieval-Augmented Generation)」システムにおいて、なぜハルシネーションが起きるのかという根本原因から、それを技術的にどう抑止するか、そして技術で防ぎきれない部分をどう運用でカバーするかまでを解説します。
Shinnosuke Yamamoto -読み終わるまで7分
DX担当者を悩ませる「もっともらしい嘘」
AIへの期待と現実
DX推進の加速とともに、経営層からは「ChatGPTのようなAIを導入すれば、業務効率が劇的に上がるはずだ」という強いプレッシャーがかかることが増えています。初期のデモ画面では、AIは流暢な日本語で回答を生成し、一見すると完璧なソリューションに見えます。
しかし、いざ自社のマニュアルや規定集を読み込ませてみると、現場からは次のようなフィードバックが寄せられることになります。
「就業規則について聞いたら、存在しない手当の申請方法を教えられた」
「製品Aの仕様について聞いているのに、類似製品Bのスペックが混ざっている」
これこそがハルシネーションです。AIは悪意を持って嘘をついているわけではありません。確率的に「次に来る可能性が高い単語」をつなげているに過ぎないため、文脈として自然であれば、事実と異なる内容でも平然と出力してしまうのです。
ハルシネーションのリスク
この問題が深刻なのは、AIの回答が「明らかに間違っている」のではなく、「一見すると非常に論理的で正しいように見える」点にあります。多忙な社員がAIの回答を鵜呑みにし、裏取りをせずにメール返信や資料作成を行えば、誤情報は瞬く間に組織全体へ、最悪の場合は顧客へと拡散します。
DX担当者にとって、ハルシネーション対策は単なる「精度向上」のタスクではありません。「誤情報がビジネスプロセスに紛れ込み、意思決定を歪めるリスク」を管理する、リスクマネジメントそのものなのです。
多くの企業が直面する「RAGの沼」
RAG(検索拡張生成)は、社内データベースから関連情報を検索し、それをLLMに「参考資料」として渡すことで、事実に基づいた回答を生成させる仕組みです。理論上は、参照データに答えが書いてあれば、AIは正しく答えられるはずです。
しかし、現実はそう単純ではありません。多くの企業がPoC(概念実証)を実施していますが、回答精度が60〜70%程度で頭打ちになり、「これでは業務に使えない」とプロジェクトが凍結されるケースが散見されます。いわゆる「RAGの沼」です。
精度の壁にぶつかる原因の多くは、「AIモデルの性能」ではなく、「読み込ませるデータの質」と「不十分な要件定義」にあります。 「SharePointに入っているファイルを全部入れればいい」 「PDFをそのままアップロードすればAIが読んでくれる」 といった安易なデータ連携は、大抵のケースにおいて失敗します。情シス担当者が普段扱っている構造化データ(データベースやCSV)とは異なり、RAGが扱うのは非構造化データ(自然言語)です。ここには表記ゆれ、レイアウトの崩れ、古いバージョンの文書など、AIを混乱させるノイズが大量に含まれています。
この「データの壁」を認識せず、最新のLLMモデルさえ導入すれば解決すると考えてしまうことが、RAG導入失敗の典型的なパターンです。
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▼RAGについてもっと詳しく知りたい
⇒ 検索拡張生成(RAG:Retrieval Augmented Generation)|用語集
なぜRAGでもハルシネーションは起きるのか?
RAG環境下でのハルシネーションは、ブラックボックスの中で起きる魔法の失敗ではありません。論理的に分解すれば、主に「検索(Retrieval)」と「生成(Generation)」のどちらか、あるいは両方のプロセスでエラーが発生しています。
検索の失敗:そもそも正しい社内ドキュメントを見つけられていない
RAGにおける最大のボトルネックは、実は生成AIではなく検索部分にあります。「Garbage In, Garbage Out:ゴミ(=質の悪いデータ)を入れれば、ゴミ(=ハルシネーション)が出てくる」とも呼ばれる現象です。
- ノイズの混入:古い規定書(2019年版)と新しい規定書(2025年版)が同じフォルダに混在している場合、検索エンジンが誤って古い方を拾ってしまうことがあります。AIは渡された情報が「古い」とは知らず、それを正解として回答します。
- ファイル名や構造の問題:「重要資料.pdf」のような意味のないファイル名や、中身がスキャン画像のみでテキスト情報を持たないPDFなどは、検索の網にかかりません。
- チャンク分割の失敗:文章の区切り方が不適切なために、質問の回答となる核心部分が途切れてしまい、AIに不完全な情報が渡るケースも多発します。
これらは「AIが嘘をついた」のではなく、「AIに嘘のカンペ(参考資料)が渡された」状態です。これを防ぐには、システム側の改修よりも、社内の文書管理ルールの見直しが必要になります。
生成の失敗:情報はあるが、LLMが文脈を読み違えたり、余計な知識を混ぜたりする
正しいドキュメントが検索できたとしても、LLMがそれを正しく扱えるとは限りません。
- 文脈の読み違え(Lost in the Middle):参照すべきドキュメントが長すぎたり、複数の相反する情報が渡されたりした場合、LLMが重要情報を見落とす現象です。特にプロンプトの中間にある情報は無視されやすい傾向があると言われています。
- 学習データへの回帰:社内用語(例:プロジェクトX)が、世間一般の用語(例:X社)と同じ名前である場合、AIは社内ドキュメントの内容よりも、自身が事前学習で得た「世間一般の知識」を優先して回答してしまうことがあります。これが「余計な知識を混ぜる」現象です。
「AIが悪い」ではなく「データと検索の質」に原因がある
ハルシネーション対策を議論する際、「どのLLM(GPT、Claude、Gemini等)を使うか」に終始しがちですが、実務においてはモデルの差よりも「データパイプラインの質」が重要です。前述した 「ゴミ(質の悪いデータ)を入れれば、ゴミ(ハルシネーション)が出てくる」というデータ処理の大原則は、AI時代においても変わりません。原因をAIの不可解な挙動に求めるのではなく、データフローのどこに詰まりがあるかをエンジニアリング視点で特定することが、解決への第一歩です。
技術的アプローチ:精度向上のための「3つの防壁」
ハルシネーションを技術的に封じ込めるには、「データ前処理」「検索」「生成」の3つのフェーズすべてに防壁を設ける多層防御のアプローチが有効です。

①データ前処理(Data Preparation)
RAGの勝負は、データを投入する前の「下ごしらえ」で8割決まると言っても過言ではありません。
- ドキュメントの適切な分割(チャンキング):LLMには一度に処理できるトークン数(文字数)の制限(コンテキストウィンドウ)があります。また、長文を読ませるほど精度は落ちます。そのため、文書を適切なサイズに分割(チャンキング)する必要があります。 単に「500文字ずつ切る」だけでなく、意味のまとまり(段落)ごとに切る「セマンティックチャンキング」や、文脈が途切れないように前後の文章を重複させる「オーバーラップ」の設定が重要です。
- メタデータ付与:本文検索だけに頼ると精度が上がりません。ファイルに対して「作成年度」「部署」「文書種別(規定、マニュアル、議事録)」などのタグ(メタデータ)を付与します。 これにより、検索時に「2025年度の経理部のマニュアルの中から検索する」というフィルタリングが可能になり、同名の古いファイルや他部署の無関係なファイルを物理的に排除できます。
- OCR精度の重要性:多くの日本企業で課題となるのが、紙をスキャンしたPDFや、Excelで作られた複雑な表組みです。 一般的なOCRでは表の構造が崩れ、テキストが意味不明な羅列になることがよくあります。これをAIに読ませると大混乱の原因になります。表組み認識に強いAI-OCRを採用する、あるいはマルチモーダルLLMを使用してマークダウン形式に変換して構造を維持するなど、データの品質を高めAIが理解しやすくする工夫が必要です。
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②検索精度の向上(Retrieval)
次に、整備されたデータから「正解」を見つけ出す検索エンジンのチューニングです。
- ハイブリッド検索(キーワード検索×ベクトル検索):初期のRAGは、文章の意味を数値化して検索する「ベクトル検索」が主流でしたが、これには弱点があります。「型番(例:A-123とA-124)」のような完全一致が必要な検索や、社内固有の略語に弱いのです。 一方で従来の「キーワード検索」は、単語が一致しないとヒットしません(例:「PC」で検索しても「パソコン」はヒットしない)。 この両者の弱点を補うため、キーワード検索とベクトル検索を並行して行い、結果をブレンドする「ハイブリッド検索」が現在のデファクトスタンダードとなっています。
- リランク(Re-ranking)の導入:検索で見つかった上位20件程度の文書に対し、AIを使って改めて「本当に質問と関連しているか?」を厳密に採点し直し、並べ替える処理を「リランク」と呼びます。 検索エンジンは「速度」を重視するため精度が粗い場合がありますが、リランク処理を挟むことで、計算コストは若干増えるものの、最終的にLLMに渡す情報の純度を劇的に高めることができます。これがハルシネーション抑止に非常に大きな効果を発揮します。
③生成制御(Generation)
最後に、LLMが回答を生成する際の振る舞いをコントロールします。
- プロンプトエンジニアリング(「分からなければ分からないと答えよ」):システムプロンプト(AIへの命令書)に、「提供された情報(コンテキスト)のみに基づいて回答してください」「情報が不足している場合は、無理に回答せず『情報がありません』と答えてください」と厳格に指示します。 また、「Chain of Thought(思考の連鎖)」と呼ばれる手法を用い、いきなり回答させるのではなく、「まず参照ドキュメントの内容を整理し、その後に回答を導き出せ」と指示することで、論理飛躍による嘘を防ぐことができます。
- 引用元の明示:回答文の末尾に、参照したドキュメントのファイル名やページ数を必ず出力させる技術実装です。 「○○という規定があります(出典:就業規則2025.pdf p.12)」のように表示されれば、ユーザーはすぐに原典を確認できます。これはAIの嘘を抑制する効果とともに、ユーザーが「AIの回答を検証できる」という安心感にもつながります。
運用的アプローチ:100%を目指さない設計思想
技術的な対策を尽くしても、現在のAI技術ではハルシネーションをゼロ(0.0%)にすることは不可能です。だからこそ、情シス担当者には「100%を目指さない」、すなわち「失敗を許容し、リカバリーできる設計」が求められます。
「回答に根拠(ソース)を必ず提示させる」UI/UXの工夫
システム画面の設計(UI)も重要です。チャット画面において、AIの回答の横に、根拠となったPDFへのリンクを必ず表示させます。 そして、画面の目立つ場所に「AIは誤った回答をする可能性があります。重要な意思決定の前には必ず原文を確認してください」という免責事項(ディスクレーマー)を常時表示します。 ユーザーに「このシステムは、答えを教えてくれる先生ではなく、資料を探してくれる優秀なアシスタントである」というメンタルモデルを持たせることが、トラブル防止の鍵です。
Human-in-the-loop(最終確認は人間が行う業務フローの構築)
業務プロセスの中に、AI任せにしないフローを組み込みます。 例えば、顧客への回答メールをAIに下書きさせる場合でも、送信ボタンを押すのは必ず人間が行うようにします。これを「Human-in-the-loop(人間がループの中に入る)」と言います。 特に、契約関連や法務関連など、リスクの高い領域でRAGを利用する場合は、AIはあくまで「ドラフト作成者」に留め、最終責任者としての人間が介在するルールを業務フローとして定着させる必要があります。
さいごに
RAGの精度向上に、魔法のような「銀の弾丸」は存在しません。特効薬的な最新モデルを探すよりも、社内のファイルサーバーにあるゴミファイルを削除する、ファイル名の命名規則を統一する、古いデータをアーカイブ領域に移すといった、地道な「データ整備」こそが、最も確実なハルシネーション対策です。 情シス担当者にとって、これはAI導入プロジェクトであると同時に、長年放置されてきた社内データ資産の棚卸しと整理を行う絶好の機会でもあります。
いきなり「全社全部署への展開」や「顧客対応の完全自動化」を目指すのはリスクが高すぎます。 まずは社内ヘルプデスクや、ベテラン社員のアシスタント業務など、「使い手が情報の真偽を判断できる領域」や「間違っても修正が効く領域」からスモールスタートを切ることを推奨します。
そこで実際のハルシネーションの傾向をつかみ、検索辞書のチューニングやプロンプトの改善といった運用ナレッジ(MLOps・LLMOps)を蓄積していく。そうして徐々に適用範囲を広げていくアプローチこそが、遠回りのようでいて、信頼できる社内AI構築への最短ルートとなるはずです。
執筆者プロフィール
山本 進之介
- ・所 属:データインテグレーションコンサルティング部 Data & AI エバンジェリスト
- 入社後、データエンジニアとして大手製造業のお客様を中心にデータ基盤の設計・開発に従事。その後、データ連携の標準化や生成AI環境の導入に関する事業企画に携わる。2023年4月からはプリセールスとして、データ基盤に関わる提案およびサービス企画を行いながら、セミナーでの講演など、「データ×生成AI」領域のエバンジェリストとして活動。趣味は離島旅行と露天風呂巡り。
- (所属は掲載時のものです)
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