ITとビジネスの今どきコラム

「新潟の四大ラーメン」はどうして生まれたかの話~「新しいこと」とは”現場の試行錯誤”の中から生まれたりするもの

マーケティング部の渡辺です。

データやITなどに関する様々なことをゆるく書いているコラムです。

「新しいこと」はどうやって生まれるのか、の話題

今回は、ちょうど寒い時期になってきたこともあり(執筆している現在は12月)、寒い時期に心までしみる話題にしようかと思います。「新潟の四大ラーメン」の話です。

昨今は「不確実性の時代で変化の時代である」とは盛んに言われます。「新しいことに取り組み、新しいことを生み出さなければならない」みたいなことも言われます。あるいは、今やっていることをやっているだけではダメだとかも言われたりもします。

では実際に、世の中で「うまく行った新しいことはどうやって生まれている」のでしょうか、というところでの「新潟の四大ラーメン」の話題です。寒い時期に食べると大変おいしいものではあります。

新しいことを考える、とは

「新規事業を考える」というと、なんだかワークショップ的なことをしてみんなで創造的な発想を出そうみたいなイメージや、企画書を書いてパワポを作ってプレゼンをして数字はあるのかとか根拠はあるのかとか言われつつ何とか説明をしましたみたいなイメージが、世の中ではどこかあるような気がしています。

じゃあ、世の中に実際に出てきた新しいものとは、若手を集めて自由な発想でワークショップをさせた結果、みたいにして生まれているものが大半なのだろうか、そうではないパターンも多いんじゃないだろうか(そのことはむしろ我々にとって大きなヒントになるのでは?)、ということをこれから書きます。

新潟の「四大ラーメン」とは

私はラーメンにぜんぜん詳しいわけではなく、ラーメンでの専門性はさほどない人です。ですので、以下は私が知っている程度で書いております(ご容赦ください)。ただ、「そんなに詳しいわけではない」私でも知っているくらいに、日本で広く知られているのが「新潟には四大ラーメンがある」という話です。

自社で新プロダクトを考えたいと思っているとして、自社で新しく作ったものが日本で広く知られるようになり「日本の四大プロダクトの一つ」とか呼ばれるようになったなら、なかなかの大成功として誇れるのではないかと思います。つまり、新しいものを生み出したい我々にとって「新潟の四大ラーメン」とは、先行した成功例と呼べるものだと思います。

「四大ラーメン」とは具体的に、新潟県の以下それぞれの地域で発達した、ご当地ラーメンのことです。

  • 新潟の「新潟あっさり醤油ラーメン」
  • 新潟の「新潟濃厚味噌ラーメン」
  • 燕三条の「燕背脂ラーメン」
  • 長岡の「長岡生姜醤油ラーメン」

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「新潟あっさり醤油ラーメン」

新潟駅の北側にある、新潟の古くからの繫華街で生まれたと聞くラーメンです。魚介の味もするやさしいしょうゆ味のラーメンで、細い麵ともあわさって、やさしく旨みを味わうような素敵なラーメンとなっています。

私は新潟に行ったら、これは必ず食べようと思っているくらいですし、万人に好まれやすいという意味では新潟を代表すべきラーメンとすら言えるかもしれません。

さて、この大ヒットラーメン、どうやって生まれたのでしょうか。諸説あるようですが、大ヒットにしよう、と思ってこのようにデザインされたわけではないようなのです。

どうして「やさしいあっさり味なのか」というと、もともとは屋台のラーメンなので本格的な厨房ではないため火力に制限があり、その制限からあっさり味になったという話のようです。さらには細い麺についても、火力に制限がある上に屋外なのでお客さんを長時間待たせるわけにはいかない事情によるもののようです。

つまり、新潟古町の屋台でラーメンを提供する事情が先にあり、その制限でビジネスを展開せざるを得ない制限が先にあり、現場の現実として「しっかり炊いての濃厚な味は技術的に難しい」「太麺はもちろん中麺でも現場が廻らない」ので、必然的にそうならざるを得なかったところから生まれたようです。

つまり、「新規事業を自由に発想しよう」みたいな感じではなく、我々の多くにとってもむしろなじみ深い「現実的な制限や苦しみにまみれた業務の現場」で「諸事情と真摯に苦闘した」ところから、名作ラーメンが生まれているようなのです。

イノベーションとは、なんか遠いところにある理想を追った発想ではなく、我々が日々格闘している難しくて泥臭い現実の中にあるかもしれない、というわけなのです。

「新潟濃厚味噌ラーメン」

こちらも私が知っている程度になりますが、新潟の温泉地で札幌ラーメンにヒントを得て独自に考え出された味噌ラーメンだと聞き及んでいます。こちらについては「新商品を作ろうとして作ったもの」のようです。

札幌ラーメンに感動したのがきっかけで作られたようですが、本家札幌に作り方を学んで美味しいものを再現しようとしたのではなく、独自性を出したいと考えて「味噌の濃さ」を高めることで違いを出そうという考えで生み出されたようです。

(むしろこれを食べて気が付きましたが)東京で濃厚味噌というと、スープがドロッとしているとか、脂分が多いとか、旨みや味付けが濃いものが多かったのではないかと思われるのですが、本当に「味噌自体をたくさん入れました」をするとこうなるのかなという印象でした。

あまりにも塩辛すぎると思う人(私もそう思ってしまいました)のために、あるいは「そう思う人が居ようとも徹底した濃さを追求して食べた人を圧倒できるようにするため」に、「割りスープ」が添えられており、それを入れて濃さを調整できる仕組みにはなっています。私はもちろん割りスープは使わせていただきました。

こちらは「考えて作った」新プロダクトですが、やり過ぎであるとして一部の人に拒絶されるくらいに濃くしたことによりキャラが立って名物になったのかもしれません。もしかすると、全員が賛成するような無難な案ではダメで、反対する人が出るくらいではないとダメだという教訓ではあるかもしれません(日本企業が苦手なタイプの取り組みかもしれません)。

「燕背脂ラーメン」

高い金属加工技術のある地域として全国的(あるいは世界的)に知られる燕三条地域で生まれたラーメンです。

濃い味の強い個性のラーメンで、強い煮干し味の効いた醤油味のスープに、うどん並みと言われることもある太い麺、そして何よりも表面を埋め尽くす勢いの「大量の背脂」がとても目立つ特徴です。こちらは燕三条の工場で働く人たちに出前を出すラーメンとして改良されてこのようになったようです。

工場の職人のために濃い味のスープになっていて、ラーメンと一緒にライスを食べる習慣が定着しているくらいとなっています。太い麺なのは、ラーメンを出前するときに細い麺だと伸びてしまうことを防ぐためにそうなったようです。大量の背脂は、太い麺に負けない強い味にするためでもあり、寒い新潟の冬の出前でもラーメンが冷めないためにも役立っているとのことで、こちらも味を自由に追求したというよりも「諸事情によりそうなった」感じがあります。

さらには、「みじん切りにした玉ねぎ(や岩海苔)を乗せてある」のが定番ですが、もともとはネギを乗せていたのですが価格高騰した時期があり「代替として玉ねぎにしてみた」ところ、好評だったので「そのまま玉ねぎで定着してしまった」と聞きます。こちらもまさに「現場の諸事情と偶然でそうなりました」という感じです。

地域の諸事情を経て生まれた味ですが、東京でもこのラーメンを提供している店が多くなってきていると思えるくらい、今の時代にあっていると思えるラーメンでもあります。ですが、こちらも「現地の諸事情が結果的に生み出した個性」のように思えます。

「長岡生姜醤油ラーメン」

こちらも新潟県の中部、長岡市で生まれたラーメンです。基本はしょうゆ味のラーメンなのですが、強いショウガの味がすることが特徴のラーメンです。

なぜショウガを入れるようになったのか、ですが、こちらも「諸事情」によるもののようです。戦後の食糧難の時代、ハム工場などで廃棄されている豚の骨(豚骨)を材料に取り入れたラーメンが各地で登場しましたが、豚骨で出汁を取ったところ豚の臭みがあったので「ショウガを入れて対処した」のが誕生のきっかけのようです。

臭み対策での窮余の策だったショウガでしたが、ショウガ自体が当地で好評となって、むしろショウガを進んで入れるようになって成立したのが、こちらご当地の味のようです。

ショウガを入れたら旨いしキャラ立ちするんじゃないか?ではなく、「諸事情」にてショウガを入れてみたところ生まれたものが、「ショウガ味のラーメンと言えば長岡」とすら言われるくらいに有名なものになったわけです。

再度整理

再度、話を整理してみましょう。あくまでも私の理解程度で書いています(恐縮です)。

  • 新潟の「新潟あっさり醤油ラーメン」
    • ◦新潟古町の屋台での営業における技術的諸事情から生まれた。
    • ◦「あっさり味」「細い麺」は諸事情そのものでそうならざるを得なかった。
  • 新潟の「新潟濃厚味噌ラーメン」
    • ◦こちらは「とにかく濃い味噌ラーメンを」ということで、苦情が出る勢いで濃くしたところキャラ立ちして有名になった。
  • 燕三条の「燕背脂ラーメン」
    • ◦燕三条地域の工場で働く人たちのために出すラーメン、の諸事情がみられる。ライスと一緒に食べる濃い味、太い麺、大量の背脂。
    • ◦今では定番の玉ねぎすら、ネギが高騰した諸事情により生まれたもの。
  • 長岡の「長岡生姜醤油ラーメン」
    • ◦豚骨なら手に入るが、豚骨には臭みがあったのでという諸事情によりショウガが使われるようになった。

新潟の四大ラーメンは全国に知られた存在。「新しいものを考えてヒットさせなければいけません」みたいな観点だと、そういう結果が得られたなら大成功のはずです。

しかし、「ヒット作を作ろう」というよりも「諸事情どうしよう」が個性的なラーメンの生まれた経緯に見られる気がします。特に、私個人が最も名前が通っていると思う三つ(濃厚味噌を除く)となると、すべて諸事情が先にあって生まれた感じがあります。

「新しいこと」はどうやって生まれるか

さて、「新しいことに取り組まなければならない」「新しいプロダクトを生み出さねばならない」みたいなことを言われる時代になっているわけですが、四大ラーメンはむしろ新しいことというよりも、「現状の諸事情」から生まれてきたようにも思えます。

つまり、むしろ我々にとってもむしろ馴染みが深いこと、「日々の業務をどうしよう」というようなこと、あるいは色々な問題や大人の事情がある現実において「制限をどうやって工夫して切り抜けようか?」に取り組んだ結果、いつの間にか「新しいもの」が生まれたものに思えてきます。

さてさて、考えてみてほしいのですが、「こういうタイプの可能性」があるとするなら、それはつまり「私たちの業務の日常」にも常に未来を切り開くイノベーションの可能性が埋もれているということではないでしょうか。

では、そういう可能性から新しいことを生み出す取り組みとか、あるいは偶然生まれたものを拾って生かす取り組み、なされているでしょうか?

ITでもそういう可能性はあるはずです

ITにおいても、このタイプの革新には大いなる可能性があるはずだと思っています。「業務の現場」が自らIT活用に取り組み、「諸事情」を解消するための工夫を行えるようにすると、色々な試行錯誤が生まれるはずです。

注意すべきことは、そういう「現場の工夫」は歓迎されずに排除されていることも多いだろうことです。「現場がまた勝手なことをしている」とされることや、全社の標準管理からの逸脱とみなされ、例えば「シャドーIT」と呼んで無くすべきものだとされていることは少なくないと思います。

そういう考え方を改めて「そこで起こったこと」を「イノベーションの種」とみなして「いいじゃないか、もっとやれ!」と個性として育てると、「新潟のラーメン」と同じ展開にならないでしょうか。そういう取り組みからいつの間にか「社を全国区に引き上げるヒットが生まれる」こともあると思うのです。

弊社のロングセラー製品に「ファイル連携ミドルウェアのHULFT(ハルフト)」がありますが、こちらも分析的計画的に生み出されたものではなく、メインフレームとUNIXが混在し始めた当時のITシステム開発における「現場の気づき」から生まれたものだと聞いたことがあります。

また、「業務の現場」が自ら取り組めるITとはすなわち「ノーコードやローコード」のITになろうかと思います。さらには昨今の情勢において「IT活用を工夫する」ために「自前でゼロから作る」ことは少なくなっているはずです。自社にすでに導入されているIT製品(現場のExcelなど)を「どのように工夫して使うか」とか、あるいは現場主導での活用に向いたクラウドサービス(kintoneやSalesforceなど)を「どのようにうまく組み合わせて使うか」が現実的に取り組まれているIT活用の工夫ではないかと思います。

すなわち「ITにおける現場での諸事情に対する工夫」とは、「ノーコード製品」による現場主導での取り組みにより「既存のIT資産」の利用の仕方を工夫する、つまり現場主導で「多種多様なクラウドやデータを連携して組み合わせて利用する」ということではないかと思います。そして、弊社の「DataSpider」や「HULFT Square」は、まさにそのようなニーズで利用いただくためにピッタリのプロダクトとなっています。

豚骨を使ったら臭いがあったのでショウガを入れました、というのは、Salesforceを使っているけれども今一つ不便なことがあったので、別途kintoneで「現場にまさに必要なもの」を作り上げ、「Salesforceとkintoneとの間はDataSpiderでデータ連携させました」みたいなことではないかとも思うわけです。

考えてみると、日本が元気だったはるか昔には、そういう自由闊達で元気な日本中の「現場」があふれかえっていた気もするわけです。「データ連携」とか「iPaaS」は、どうして必要なのかわかりにくいと言われたりもするのですが、ITにおいて、現場の自由闊達な工夫を実現し生かすためには、ノーコードや「つなぐ」技術は必ず必要なのではないか、と考えています。

執筆者プロフィール

渡辺 亮

  • ・マーケティング部 デジタルマーケティング課 所属
  • ・2017年 株式会社アプレッソより転籍
  • ・大学で情報工学(人工知能の研究室)を専攻したあと、スタートアップの開発部で苦労していました
  • ・中小企業診断士(2024年時点)
  • ・画像:弊社で昔使われていた「フクスケ」さんを私が乗っ取りました
  • (所属は掲載時のものです)

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