社会インフラの事故が相次いでいるのはどうしてか考える~これから再評価されるかもしれない「安全安心」
マーケティング部の渡辺です。
データやITなどに関する様々なことをゆるく書いているコラムです。
社会インフラの事故が相次いでいて話題になっています
これを執筆している現在(2025年7月)、日本を支えてきた社会インフラが事故を起こしたニュースが話題になることが多くなっています。
2025年1月に埼玉県八潮で起こった下水道が原因による道路の陥没(大変痛ましい事故でした)は大変な話題になりましたし、2024年9月には走行中の東北新幹線で連結器が外れる大惨事になりかねない事故が起こりました。続いて、原因調査をして対策をしたはずが、2025年3月に再度連結器が外れる事故が発生。さらには、それら事故が起こったばかりの2025年7月1日には、走行中にパンタグラフに異常が発生したため運転見合わせになってしまう事件も起こっています。
どうも最近になって「これまでなかったような事故」が起こるようになっている気はしませんか。しかも新幹線、日本が技術の粋を結集して徹底的に安全安心さを追求して作ったはずのものです、その新幹線で耳を疑うような事故が続いているのはショックなことです。
日本は、戦後の「高品質なモノづくり」が世界から評価されて豊かな国になりました。日本製が高品質であること、安全安心であることへの世界中の信頼は日本の発展を支えてきたものだったはずです。今回は、この問題について考察することで、これから我々は何ができるかについても考えてみたいと思います。
事故が相次ぐまでは「気にもしていなかった」はず
まず考えたいのは、事故が相次ぐまでは「そんなことは気にもしていなかった」であろうことです。例えば、埼玉県での道路陥没の事故が起こるまで、「道路とは陥没するかもしれないものだ」と考えたことはあるでしょうか、おそらくほとんど無いと思います。
さらには、「道路が陥没しないこと」をありがたいことだと思ったことがあるかと聞かれると、ほとんどないと思います。「今日も新幹線の連結器やパンタグラフがきちんと動作してくれてありがたい」とか、「今日も水道から水が出てありがたい」ともなかなか思わないはずです。
そんなものきちんとしていて当たり前のことじゃないか、何を言っているんだ、と思った人もいるかもしれません。それもわかるのですが、でも「気にすらしていない」のは本当はちょっとおかしいところもあります。
高校の部活でたとえてみる
具体的に、その現場の様子をイメージできる例を考えてみました。高校の軽音楽部に所属していて、文化祭でライブをすることになった状況を想像してください。
ライブを行うためには誰が必要で何をする必要があるしょうか。ギターを弾く人が必要だとか、ドラムをやる人が見つからないとか、遠慮気味の人がベースを担当しがちだとか、そういうのは想像できるかもしれません。でも、ステージ上で演奏する人がいるだけではライブにならないのですね。
演奏する人以外にも、例えば演奏中に照明をする人が必要になりますし、何よりもミキサー卓の前に座って、いろんなマイクとか楽器から入ってくる音の調整をしてスピーカーから会場に届ける「PAを担当する人」が必要になります。PAは演劇部が舞台をするときなどでも必要になります。
ライブを観に行った感想が「今日のPA素晴らしかったな」となることはまずありませんが、PAがいなかったらライブはできません。しかも、PAをやるのは知識が必要でなかなか難しかったりします。PAがミスをすると演奏中に音が聞こえなくなったり、ハウリングして台無しになったりします。
私がギターをする、彼はドラムをする、しょうがない俺がPAをするか、と思ってPAを引き受けたとしても、うまくやっても褒められることは少ないし、それなのにミスした時にはお前のミスだ、とか言われがちだったりします。
ビジネスではもっと難しいことに
上記では部活を例に説明をしましたが、会社勤めでの「似たような状況」ではさらに大変なことになりがちです。
PAで例えるなら、楽器の演奏もせず、ライブの集客にも貢献していないみたいなことを言われがちで、来年からは半分の予算で借りられる機材やりなさいとか言われ、失敗なくやっても当たり前なので給料は上げませんと言われるような感じかもしれません。さらには、脚光を浴びるのはステージで演奏している人たちになりがちで、それなのにミスをしてハウリングが起こってしまったら、PAの責任だと言われてしまう。
このように書くとまあひどい話ですけれども、我々も似たことをしているかもしれないのです。例えば我々、水道にも下水管にも連結器にもパンタグラフにもありがとうと思ったことがないどころか「気にすらしていなかった」はずです。それなのに、事故があれば文句は言いますよね。
どうして「相次いでいる」のか
次に考えたいのは、どうして今になって事件事故が相次いでいるのかです。
事故などがあると、「誰が悪いのか」ということになって原因の人を探す作業が始まりがちだと思います。この人のミスが原因でした、というように。
そしてそのあとの再発防止対策についても、事故を起こした本人の意識が低かったからだとか、監督や管理が甘かったからと、以後はもっと厳しくしますみたいなことになりがちのような気がします。少なくとも、一般世間はそのような責め方をしがちではないでしょうか。しかしながら、そのような考え方では高度な品質や信頼性、安全安心は実現できないのです。
1955年には日本製とは「安かろう悪かろう」のことだった
「意識が高い」とか「もっと厳しくします」などの心構えがしっかりしているだけで高品質なモノづくりが実現できるなら、日本は戦前から高品質なモノづくりで世界に知られていたのではないかと思います。しかし現実には、戦後すぐくらいまでは「日本製」とは「安かろう悪かろう」のことでした。例えば、映画『バックトゥザフューチャー』では、タイムスリップした「1955年のドク」が以下のように言う有名なセリフがあります。
「ああ、これは故障するわけだ。こいつはメイド・イン・ジャパンだ」
それに対して「1985年から来たマーティー」が、日本製は最高なのに何言ってんの?と返して、ドクがそんなこと信じられないと返すやり取りが出てきます。ハリウッド映画でそうやって小笑いのネタにされるくらいには、「1955年における日本製」の現実は「その後の日本製のイメージ」とは大きなギャップがありました。
日本の高品質・高信頼性はどこから来たか?
では、我々の知る「モノづくりで世界に知られる日本」とは、いつどこから来たのでしょうか?
徹底的な敗戦を経て、戦後すぐには「日本はどうしてアメリカに及ばなかったのか」について各分野で反省がなされました。製造業においても反省がなされて、それをきっかけにアメリカからやってきたデミング博士による「科学的な品質管理手法」の導入がはじまります。それがその後QC運動として知られる品質改善運動として日本中で定着します。このようにして世界に先駆けて「科学的な品質改善活動」に徹底的に取り組んだことが「モノづくり日本」の始まりでした。
つまり「高品質で壊れない」「事故を起こしたりせず安全安心」ことで知られる日本のモノづくりとは、戦後になってから始まった新たな取り組みによるものでした。
どうして今事故が起こっているのか
さて、その上でもう一度昨今のことを考えてみましょう。
我々は、水道から水が出てありがたいとは思わないように、新幹線に限らず社会の安全安心を日々維持している人々に十分な敬意を払うことがどうもありません。それなのに高品質や安全安心は当然だとして問題があった時には苦情を言い、日本の高品質を支えてきた科学的な取り組みについても理解していないので、「そうなった原因」の理解も間違ってきました。併せて、容赦なく厳しいコスト削減をさせる社会環境も続いてきました。
そしてそのまま何十年かが経過しました。過去に積み上げた安全安心のインフラは傷んできて、専門技能で安全安心を支えてきた人もいなくなりはじめて、物心ともに過去の蓄積がなくなってしまい、いよいよ重大事故が起こるようになったのが昨今の状況ではないか?と思われるわけです。
これから必要になるかもしれない取り組みとは
このような現状を踏まえて、我々は何をすべきでしょうか、あるいは今後ビジネスにおいてはどうでしょうか。
「高品質」や「安全安心」の基本に立ち返る必要があるのでは
すでに書いたように、世界での「日本製」への信頼を支えてきた高品質や安全安心とは、本来はエンジニアリング的な話であり、専門技能と専門領域として実現されてきたものだと考えられます。社会で事故が起こっている、あるいは自社製品で問題が起こっているのなら、その基本に再度立ち返る必要があるはずです。
製造業であるなら、伝統的な品質改善活動による高品質の実現、あるいは安全工学的な取り組みを再度見直す時期に来ているのかもしれません。
古臭いことを言っているように聞こえるかもしれません。実際のところ、1960年代であれば、QC活動に取り組むこと自体が世界での競争優位性を獲得することだったとしても、現在ではそうではないところはあります。日本流のモノづくりのノウハウはすでに世界に拡散してしまったので、今では品質改善活動に取り組んだだけでビジネスが優位に進むわけではないでしょう。ただし、「今まさに品質問題や事故が起こっていて解決が必要になっている」のなら、それを解消するためにすべきことは昔から変わらないはずです。
ソフトウェア開発(IT)においては、プロセス改善やソフトウェアテストを自社でしっかりやりましょうということになろうかと思います。製造業と比べて、高品質なソフトウェアを開発する取り組みは広まっていませんが、いきなりコードを書くような開発を行ってから不具合を場当たり的に取り除くようなやり方では、同じく高い品質のソフトウェアは開発困難です。安全安心が求められる分野のソフトウェアを作るのなら、コードを書く前の最初から高品質になるよう配慮された開発プロセスで開発する必要があります。
「品質や安全安心の危機」とは、「品質や安全安心のチャンス」の再来
現実にとうとう事故が起こるようになったことで、これからは品質や安全安心の価値が見直されることが増えるはずです、つまり「品質や安全安心がビジネスのチャンスになる」ことが出てくると思います。
高校の軽音部で「PAを担当しても報われなかった」話をしました。問題なくやってもありがとうとは言ってもらえないのに、失敗すると嫌なことを言われる。それならもう私はPAをしません、私も楽器の演奏だけします、ということになりました。するとどうなったかというと、機材の問題やPAのトラブルが起こりがちになってしまいました。そうなってようやく「きちんとPAをすること」が感謝されるようになり、ありがとうと言われるようになったり、おつかれさま、と飲み物をもらったりするようにもなりました。
社会インフラが事故を起こすようになったことで同じように、安全安心は当たり前にあるものではない、と世の中の考え方が変わるかもしれません。事故を起こして大変な経験をしたところでは、「きちんと作ってあること」「安全安心を実現できるよう作ってあること」を身に染みて大事だと思うようになるはずです。
また昨今、全世界規模でのビジネスの競争はますます激しくなるばかりです。例えば「生成AIで世界と競争する」ような、世界の最先端を争うような戦いでの成功は華々しいながらも、そのような勝ち残り方はますます難しくなるばかりです。
「安全安心」が今後当たり前ではなくなるのなら「きちんと作ってある」ことで支持される生き残り方、例えば「彼らが作った橋だけが地震でも洪水でも壊れなかった」ことで長く静かに支持され続けるようなビジネスも支持されやすくなるのではないでしょうか。
「安全安心」の基盤として信頼を頂いてきたHULFT
では果たしてITで、そのような考え方で実際に成功しているプロダクト(前例)はあるのか?というと、あります。弊社の製品、ファイル連携ミドルウェアの「HULFT」(ハルフト)がまさにそのような理由で長年にわたり支持を頂いてまいりました。日本の銀行全てで導入され長年使われているなど、ミスが許されない分野での長年の実績があります。
実際のところ、ファイル転送するだけのプロダクトでしょ?みたいなことを言われることもありがちなのですが、ファイル転送をベースにした「鉄壁の安全安心さを実現したデータ連携基盤」となると、そう簡単に作れるものではありません。自社開発により実現しようとすると大変なコストや期間が必要になる「高水準の安全安心確実」を、「買ってくるだけで自社でもすぐに整備できる」手段として支持いただいてきたのが、日本で圧倒的なデファクトスタンダードになるに至ったHULFTの実績の源です。
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▼HULFT製品についてもっと詳しく知りたい
⇒ HULFT10│製品紹介ページ
おわりに
1985年のバッグトゥーザフューチャーでは「良いものはみんな日本製」でした。しかし今、その日本製の中でもとりわけ「良いもの」だったはずの新幹線すら事故を起こす時代になってしまいました。しかしだからこそ今、「きちんと作ってある」ことについて改めて考える時代になったとも言えるはずです。
これからは今度こそ、あなたの「良い仕事」が注目される時代になるかもしれません。そして、あなたの良い仕事を支える基盤として「良い仕事のIT」が必要ならば、その実現手段として我々のプロダクトについても検討をいただければ幸いです。
執筆者プロフィール

渡辺 亮
- ・マーケティング部 デジタルマーケティング課 所属
- ・2017年 株式会社アプレッソより転籍
- ・大学で情報工学(人工知能の研究室)を専攻したあと、スタートアップの開発部で苦労していました
- ・中小企業診断士(2024年時点)
- ・画像:弊社で昔使われていた「フクスケ」さんを私が乗っ取りました
- (所属は掲載時のものです)