1セットも売れなかった~HULFTの船出
30周年を迎えるHULFTですが、そもそもどんな経緯でHULFTが誕生したのか、その端緒について教えてください。
板野もともとHULFTを作る以前、他社に販売するソフトウェアを開発していたのですが、実はそのなかにファイル転送の仕組みも存在していました。HULFTをパッケージとして開発することになったのは、当時の上司が“パッケージで儲けていこう”と声を掛けたことがきっかけで、具体的な構想にはなっていませんでした。当時の私たちは、パッケージ化して販売するビジネスモデルは初めての試みだったのですが、儲かる仕組みづくりの一環として、まずはパッケージとして販売できるプロダクトを作ろうということになったのです。
当時の時代背景から考えると、どんなパッケージ製品が求められると考えたのでしょうか。
板野中小企業ではオフコンなどが導入されていましたが、大手企業のシステムはメインフレーム中心で構築されていた時代です。ちょうどダウンサイジングが叫ばれており、UNIXをはじめとしたオープン系の仕組みが広がりつつありました。時代の流れを考慮するとこれからは、メインフレーム以外の技術力を身につける必要があったのです。当初メッセージ転送の仕組みを考え、業務連携を念頭に考えると、ファイルで受け渡ししたほうが業務システムは連携がしやすいのではと考えたのです。
実際にファイル転送の仕組みは企業ニーズにもマッチしているものだったのでしょうか。
板野売れるものを作るというよりは、お客さまが困っているものは何か、今後ダウンサイジングするなかで困るであろうことに焦点を絞りました。私自身、HULFTを作る前からお客さまの業務システムの開発に奔走していたこともあり、実際の現場で何があれば一番喜んでもらえるかということを開発者目線で常に考えていました。
それがファイル転送としてのHULFTの原点なわけですね。
板野最初のバージョンは、メインフレームからファイル転送してオープン系システムでデータを有効活用できるような使い方で、DBに自動的に情報を格納することでアプリケーションでも活用できるDB連携含めたパッケージを作りました。ソニーが開発したUNIXワークステーションのNEWS(ニューズ)とともに、Unifyと呼ばれるDBを使ったのが最も初期のプロダクトでした。残念ながら大きな投資ができなかったため、対応するUNIXやDBはマイナーのものからの船出でした。
実際に当時のHULFTのセールスは好調でしたか?
板野最初のプロダクトであるHULFT1はメインフレームからUNIXへファイル転送する仕組みで、その6ヵ月後には双方向でファイル転送できるHULFT2が出ています。ただし、HULFT1は体制的にも十分でなかったため、個社に手売りのような形で紹介しており、実際には1つも売れませんでした。しっかり販売ルートを整えて売り始めたのが、おそらくHULFT2に入ってからだったと記憶しています。ファーストユーザーは調査データを提供する企業様でしたね。
しっかりと販売ルートが整った段階で、ようやく販売が始まったと。
板野確かに体制は整ったのですが、そんなに売れませんでした。私自身としては売れたつもりでいたのですが、パッケージビジネスとして会社が期待していたような数字ではなく、当時の社長から販売停止の判断が下されそうになったことも。そんな時に救ってくれたのが、企画や営業のメンバーでした。もっと続けさせて欲しいと社長に直談判してくれたことがきっかけで何とか継続させることができたのです。後日談ですが、当時の社長が次の社長に送った、自分の判断は間違えていたと書いた手紙を見せてもらったことがあります。
初期の開発はかなりご苦労されましたか。
石橋HULFT2のころは、とにかく板野がわがままを言うわけです(笑)。営業同行でお客さまのところから帰ってくると「これに対応してくれたら買ってくれるって」と要望を聞いてくるわけですが、それが毎日続きました。対応スケジュールも2週間でやって欲しいと板野から指示が飛ぶ。その要望に応える際、社内に開発機がないために、お客さまのところに出向いてUNIXマシンを借り、その機種に対応したモジュールを作ってリリースする、なんてことをずっと続けていた記憶があります。要望が多いのは、お客さまが使っているUNIXへの対応です。当時はメーカーごとにUNIX OSが異なっており、それらに全部対応せざるを得ない状況でした。
それは大変ですね…ご苦労されるなかで、石橋さんを支えていた想いはどんなところにあったのでしょうか。
石橋お客さまの名前を聞くことがうれしかったですね。例えば受注をするたびに、聞いたことがある、テレビで見たことがあるお客さまのリストが少しずつ挙がってくる、それだけで楽しかった。当時は開発者が納品用のROMを作成していましたが、そこに著名なお客さまの名前が書かれたシールを貼る、そんなことに喜びを感じていました。