個別最適な学びの提供と行動変容を もたらす価値あるデータとは?​​​​​​​
異色の教育長が抱く強烈な危機意識と 新たな教育の姿

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 文部科学省に在籍当時に市長からオファーを受け、35歳の若さで鎌倉市の教育長に2020年8月に就任した岩岡寛人氏。学校長を退職後に就任するケースが多い教育長というポジションだけに、教育長の全国的な平均年齢は64歳ほどだが、1700ほどのある全国の自治体のなかで4名ほどしかいない40歳未満の教育長の1人だ。しかも、東京に住居を構えている岩岡氏は、縁もゆかりもない鎌倉という土地で、教育改革に日々取り組んでいる。そんな異色の教育長が描く、子どもたちの未来とは?​​​​​

教育長就任の経緯

鎌倉市の教育長就任に至る経緯からお聞かせください。

 教育長に就任する前は、文部科学省にて幼児教育に関する仕事に従事しており、小中学校に関する教育行政にも数多く関わってきました。その当時から大事にしてきたのは、ラストワンマイルにしっかり届く教育行政という意識を持って取り組んできたことです。本来学校における教育は、教員と子どもの間での相互作用でしか生じないもので、法律を作成したり通達を出したりすることで中央官庁としての責任は全うしますが、それだけでは子どもに対する教育作用が生まれるものではありません。だからこそ、現場の行動変容につながるようなデータの取り方やマニュアル作り、ガイドラインの設定、通達の方法などを意識しながら、多くの方とともに仕事をしてきました。そんな折、教育長のお話をいただいたことで、鎌倉市の教育長に就任することになったのです。

縁もゆかりもない鎌倉での教育長オファーですが、最初にお話をお聞きになったときはどうでしたか?

 私の根本的な教育行政の理念として、これは新しい学習指導要領が目指すものでもありますが、社会に開かれた学校教育を実現したいというものがあります。単に教科の内容を学ぶだけではなく、より良い社会を作るための学校教育を、学校内だけでなく社会のさまざまなリソースを取り入れていきながら実現し、子どもたちがこの変化の激しい時代で幸せに生きていくために必要な力を身につけさせてあげたい。この理念を具現化する場所として、鎌倉はこれ以上ない素晴らしい場所です。歴史あるエリアとして伝統を大事にするまちではありますが、魅力的な住環境や固有の文化的なストーリーがあることで、近年は起業家や芸術家などさまざまなクリエイティブ層が鎌倉へ移住してきており、他の自治体と比べても本当に社会的なリソースが豊かなまちの1つです。教育長就任のお話を伺った段階で、ぜひ取り組んでみたいと強く思いました。

 鎌倉は伝統と先進性が同居しているまちであるため、教育分野でも伝統と先進性を融合した形を模索していきたいという市長の強い思いもあったとお聞きしています。そんな取り組みにつながる新たな人材を検討するなかで、私に白羽の矢が立ったのだと考えています。

教育現場における課題

これまで教育行政に携わってきたなかで、政策立案には根拠となるさまざまなデータに触れてきた経験がおありだと思います。教育の場面におけるデータへの関わりについて、これまでの経験を教えてください。

 これまでは、小中学校のシステムを融合した9年間の義務教育学校という学校システムの構築をはじめ、統廃合を伴う学校規模適正化のガイドラインづくり、そして夜間中学校の設置促進などの方針づくりなどに関わってきましたが、それぞれ政策を作り上げていくためにはファクトが重要です。そのため、各種調査の設計や調査の実施、その結果分析などに数多く取り組んできており、ある意味でデータの重要性は認識しています。

 また、UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)にて公共政策大学院のマスター取得の際に、計量経済学的な手法を用いて教育分野でのエビデンスを作り上げる教育経済学を学んだ経験がバックグラウンドにあります。データ万能主義の最たる国である米国では、各州で経年比較が可能な標準テストが義務付けられており、膨大なデータに触れる機会が多く、教育経済学者からすると天国のような環境だと言えます。

 ただし、逆に言うとデータがないと政策が作れないというジレンマに陥っており、義務付けられている国語と算数の標準テストに各学校とも懸命に取り組んだ結果、アートや食育、道徳、体育などの時間がどんどん削られてしまっているという状況を目の当たりにしました。エビデンスとなるデータはもちろん重要ですが、それだけでは難しいという価値観が、当時の経験から私のなかで形成されたと考えています。

教育現場にも数多くのシステムが導入され、数多くのデータが蓄積されていると思います。データという視点から見て、今の教育業界においてどんな課題があるとお考えでしょうか。

 データ活用には、いろいろな次元があると考えています。1つは政策を作るうえでのデータ活用です。学校ごとの成績や体力測定の情報、子どもに対するアンケート調査などのデータをもとに、どんな取り組みをすべきかを検討するといういわゆるEBPM(エビデンスベースドポリシーメイキング)のためのデータ活用です。

 そしてもう1つが、日々の指導を改善するためのデータ活用です。行政が政策を立案するためではなく、現場の教員方が日々の指導立案のヒントにするためにデータを活用するというもの。この領域に関しては、鎌倉市に限らず、全国的にデータが活用できる環境にあるとは言えません。

政策立案のためのデータはあるものの、指導改善に役立つようなデータが現場から得られていない状況なわけですね。

 実は政策立案におけるデータ活用についても、十分とは言えません。そもそも米国と違うのは、分析可能な形のデータが十分に取得できていないこと。日本におけるナショナルカリキュラムである学習指導要領の意図を最大限反映した全国学力・学習状況調査、いわゆる全国学力テストがあることはご存じだと思いますが、どんな教育を目指しているのかというものが教員や子どもたちも理解できる形で戦略を立てていくには良いテストです。ただ、平均点や標準偏差のばらつきが標準化されておらず、毎年母集団が変わるため、経年での比較ができない。子どもの学力が伸びたのか、テストの難易度が関係しているのか、母集団の差なのかを分析できるデータとなっていないのが実態です。データ環境が十分でないなかでは、データに基づく政策立案のステージに立てていないというのが現実と言えるでしょう。

 また、エビデンスをもとにした政策を立案するために学力テストの改革も必要だと考えていますが、そもそもテスト自体が年に1度、学期に1度という頻度しかなく、確かに定点観測は可能ですが、1週間での生活環境や社会環境の変化、ストレスなどによる子どもたちのゆらぎなどは把握できません。たとえしっかりしたデザインで学力調査を行っていても、テストという性質上、毎日の指導にそれを活かしていくというのは極めて難しいのです。

 先進的な自治体では、学力テストによって1年間子どもの力を伸ばすことに成功した教師を選び、データではなくヒアリングベースでその指導技術を抽出して学力向上につながる指導について推察し、研修などに役立てているところはあります。ただし、あくまで標準化された指導技術の「コツ」ですので、日々の子どもたちの変化に柔軟に対応できるものではありません。
このように、政策づくりに生かすステージ1としてのデータ活用の段階に至っていないなか、日々の指導改善に役立つデータ活用というステージ2にはまだ立てていないというのが、今の教育分野におけるデータ活用の実態なのではないでしょうか。