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細やかな情報共有を徹底し、チームマネジメントを強化

世界一の選手を育成するには、組織力を強化する必要がありました。そのために、まずは選手の階級ごとに担当コーチを配属。選手とコーチの間で細やかなコミュニケーションが取れるようにしました。

次に、サポートスタッフを「フィジカル・コンディショニング・情報分析・メンタル管理・総務」といった役割に分けました。さらに、現場指導にあたってはトップダウンではなく、各分野のプロフェッショナルであるコーチやサポートスタッフに一任する風土に変えたんです。

役割分担が明確だと、選手としても誰に何を頼ったらいいのか分かりやすいというメリットがあります。実際に、選手達はコーチやサポートスタッフに様々なことを打ち明けていました。これにより、風通しの良い組織が築けましたし、必要な意見を率直に言い合える最高なチームになったと思います。

よく、「大事な試合なのに、なぜボックスに監督がつかないのか?」と聞かれます。私がボックスに付かない理由は、現場のことは担当のコーチやサポートスタッフが最もよく知っているからです。チーム内で情報共有を徹底していたからこそ、監督である自分がいなくなったとしても、崩れずに進んでいける組織が作り上げられたのではないでしょうか。

東京五輪に向けた戦略秘話

柔道界ではもともとデータに触れる文化がなかったので、最初は選手たちの間で戸惑いも見られました。ですが、選手達の力を1%でも向上できるならデータを活用したほうがいい。そう思いながら活用を始めた結果、科研の石井さんや分析担当の方々のご協力もあり、徐々に選手達もその重要性を感じとってくれました。

コロナ禍では、過去の試合映像に非常に助けられました。満足にトレーニングができない状況の中、膨大な試合映像をネット上で見られるシステムを科研が作ってくださったのです。これは、ネット環境とパスワードさえあれば、自宅でもトレーニング場でも映像データが見られるという画期的なものでした。コロナという未曾有の事態が起こっても、視覚から常に学んでいたからこそ、感覚的な力をあまり落とさずに試合に臨めたのだと思います。

また、東京オリンピックでは「審判の傾向」や「シード権入り選手の優勝率」のデータが戦略の大きな鍵となりました。審判の傾向に関しては、「オリンピックは他の国際大会より指導・反則を取るスピードが数秒から数十秒遅い」というデータが出ました。なぜ遅くなるのかというと、柔道の魅力は「技」にあるからです。

全世界で注目されるオリンピックでは、より「技」で勝負がつく流れにしたいという審判の思いが強くなります。もちろん、あくまでもデータですので、実際どうなるかは試合当日までわかりません。それでも例年の審判の傾向をシミュレーションし、戦略的に準備をしていきました。今回は慌てることなくじっくり丁寧に戦い、延長戦になってもワンチャンスを狙おう。そんな戦略が立てられたんです。

実際の東京オリンピックでは、決勝に残った5人の選手のうち4人が延長戦まで戦いました。戦略通りに勝利を納められたのは、間違いなくデータがあったからこそです。

もうひとつの「シード権入り選手の優勝率」は、リオオリンピックのデータをもとにしました。リオでメダルを手にした選手のうち、およそ84%がシード権を獲得していました。そこで我々がメダルを取るためのひとつの戦略として、「上位8位までのシード権を獲得する」という方法を取りました。それだけでなく、シード権を取るための試合分析や予測ができたことも勝利への大きな一歩だったと思います。

ただ、このやり方を続けているだけでは、永続的に強くなれるわけではありません。実は今、柔道国際連盟(IJF)が我々同様、データ活用の分野にとても力を入れているんです。科研のシステムと同じように、柔道国際連盟のサイトでは膨大な試合映像のストックが誰でも閲覧できます。その結果、全世界の選手が過去の試合映像をどんどん活用することになり、我々と同じ土俵に追いついてくることになります。我々の動向や戦略を研究される機会も、より一層増えるのではないかと危惧しています。​​

データ活用を突き詰め、柔道界だけでなく社会に還元したい

世界中の選手達にデータ活用が浸透したとき、次は「どのように活用するのか」という点に大きな力の差が出てくるのではないでしょうか。我々としては、細かな部分を突き詰めていきながら、データの活用方法をさらに発展させていく取り組みが重要だと考えています。

登るのに時間がかかっても、落ちるのはあっという間。一瞬でも妥協・油断したら、世界の強豪選手らに飲み込まれてしまいます。常に危機感と学ぶ姿勢を忘れずに、突き進んでいきます。

最後に、我々の最大の目的は、柔道で培ってきたデータの活用方法を社会に還元していくことです。試合で勝つことは大事ですが、それは目的のほんの一部にすぎません。また、選手達が東京オリンピックで活躍できたのは、偶然ではなく、必然を重ねた結果です。選手自身の頑張りはもちろん、科研の存在やコーチ、スタッフの多大なる力があったことも少しでも知っていただけたら嬉しいですね。

これからも皆様に応援していただけるよう、柔道界の発展に尽力して参ります。​​​